ひたすらに「良いもの」を! 目の前の作品と向き合う~甲冑師(かっちゅうし)・別所実正(べっしょじっしょう)さん~
この記事では、五月人形の兜(かぶと)の製作に携わる甲冑師(かっちゅうし)の別所実正(べっしょじっしょう)さんにインタビューし、「兜作りにかける思い」を紹介しています。
別所さんは、「五月人形大ご奉仕会2020」でご用意する五月人形・兜の製作にも携わっていらっしゃいます。
たどり着いた鎧兜(よろいかぶと)の世界
実正さんが五月人形を製作する人形師、甲冑師(かっちゅうし)として製作に従事されるようになったきっかけを教えてください。
私は、甲冑師になって49年、もうじき50年です。父親を見て育ち自分もこうなりたいと思っていましたので、何のちゅうちょもなく五月人形製作の道に入りました。うちの父親は根っからの職人でした。はじめは鋳物屋をやっていたのですが、数をこなしても
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鬆(す)が入るなどいろいろ苦労しました。その後いくつかの職を経験し、最後にたどり着いたのが鎧兜(よろいかぶと)の仕事でした。
※鬆(す)は鋳物にできてしまう空洞部分のことで、あると強度が落ちることもある
実正さんにとって、師匠と呼べる方、尊敬できる職人さんはどなたでしょうか?
まずはやはり父親です。そして、甲冑師の加藤一冑(いっちゅう)さんです。私が一番初めに見た兜が加藤さんのもので、三越にずらりと並んでおり、非常に印象的で圧倒されました。師匠である父からは「作るなら部品ではなく製品を作れ。作るなら良い品物を作れ」と言われました。「真似をするな。真似をするなら国立博物館に行って見て来い!」と、そういう教えでした。
兜に込められた信念
兜作りで苦労される点やこだわりはありますか?
兜作りには非常に多くの製作工程があります。全行程を数えたことはありませんが、頭の部分である鉢だけでも62枚叩き直ししなければならないので、一点作るのに金槌で何百回も叩くような作業です。ただただ「良い品物を作るんだ」という気持ちでやっています。
中でもこだわっているのは「鍬形台(くわがただい)」という部分です。兜というのは平安時代よりももっと前に登場したものなのですが、兜の装飾である「前立(まえだて)」の下の部分にあたるのが「鍬形台」です。これは、兜の役割りとして必ずしも必要なものではないのですが、その当時のトップの人だけが身に着けられるものだったんです。ですから、そこには彫刻など諸々最高なものが付いています。当時、その兜をかぶって戦争へ行っていた訳ですから、そこには何か信念のようなものが込められていたはず。私はそこに魅力を感じています。
技術的に、特に自信がある部分はありますか?
彫金も独自で築いたものですが、筋も真っすぐにひいていますので自信は持っています。一番の要は
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兜鉢(かぶとばち)ですが、私の作っている鉢は62間(けん)や120間など細かいものです。小さいもので62間というものはこれまで見たことがないんです。この部分に関しては自信の源になっています。
※兜鉢(かぶとばち)は、頭部を守るヘルメットの役割りをする部分。鉄板に筋をつけることで、兜に直撃した刀を滑らせ衝撃を軽減させる効果があり、その筋の数を「間」という単位で表す
ひたすらに「良いもの」を! 目の前の作品と向き合う
実正さんが製作に込める信念とは、どのような思いでしょうか
兜は五月人形として節句をお祝いするため。男の子が立派な男に育つようにと作っています。ただ、私は商売っ気がありませんので、「どうやって売ろうか」というより「良い品物を作ること」を第一にしています。一生懸命作って完成するとそれでおしまいです。「その次はもっと良い品物を作ろう」と気持ちを改めて次の作品に向き合います。そのため、これがいくつ売れたというのは考えていません。
私は、例えば兜を縮尺する際も、
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鋲(びょう)一つとっても必ず新しい縮尺で製作しなおします。昔、一番小さい兜を作る際に、一番上のサイズの部品を全部流用して作ったんですが、何もかも大きすぎて全然駄目だったんです。それで鋲一本でも、2ミリでは太すぎると1.7ミリに替えまして、全てを変えてようやく完成したのが6号の兜なんです。これは良い経験でしたし、その後の製作にも活きていると思います。
※鋲(びょう)は、兜の鉄板を留めるもので、鉢(頭の部分)の表面の突起している部分を指す
もう1つのこだわりは、できる限り手仕事で作り上げることです。昔は電気もドリルも無かった訳ですから全部手作りです。手作りだからこそ出せる雰囲気があると思うので、できる部分は自分の手で作るよう心掛けています。
最高の兜を作り続けること
今後どのような作品、商品を作っていきたいと考えていますか?
最近は量販店に3万円~5万円の兜が並んでいて、そういったものを購入される方もいらっしゃると思います。もちろんそれはそれで良いのですが、私は職人として「お客さまに満足していただけるもの」「自分ができる一番良いもの」を作り続けていきたいです。
今後の目標や夢はありますか?
京都の博物館に200間(けん)という日本の兜の中でも一番細かい筋兜がありまして、それに一度挑戦したのですが、180でくっついてしまって泣きました。その200間の兜を何とかして作りたいというのが、これからの夢の1つです。その時に作った180間の兜は実際に残してあるのですが、間隔が細かったり太かったりしているので、そこを調整できれば200間も作れるのではと思っています。作品を作っていくと失敗することもありますが、「職人というのは100個作れば100個を品物にしなければならない」というのが父親の教えです。失敗してもそれを清新に変えるべく、努力をして完成に持っていくようにしています。その積み重ねの後、200間の兜を実現させたいと考えています。
- 作家プロフィール
甲冑師:別所 実正(べっしょ じっしょう)
東京浅草に生まれ、甲冑製作に従事。平安時代から江戸末期までの甲冑、刀剣の研究に専念し、彫金切りまわし、鍛金等の技法を用いて甲冑の製作に取り組んでいる。コンパクトタイプの伊達政宗公兜を発表するなど、昔ながらの技術を生かしながら現代の生活にも適したクオリティの高い兜を製作している。