奥州の覇者
伊達政宗

伊達政宗の魅力

武勇に優れ天下への野望を
持ち続けた奥州の覇者

第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫の嫡男。
東北最大の英雄伊達政宗は、わずか二十四歳という若さで奥州をほぼ手中に収めることに成功し。
天下に名を知られた名将です。

政宗の願いが込められた
三日月の前立

伊達政宗と言えば三日月の鍬形をつけた黒兜を印象的です。
この月の鍬形を決めたのは、父である輝宗だと伝えられています。
三日月は、これから満ちていく月。天下を狙う政宗の志と、父の願いが込められているようにも思えます。

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伊達政宗について

1567年
現在の山形県で、伊達輝宗の長男として誕生
1571年
天然痘にかかり、右目を失明
1592年
文禄の役。派手な格好をして参戦したことから「伊達者」と呼ばれるようになる
1614年~1615年
大坂冬の陣・夏の陣に出陣して手柄を立てる
1636年
病気で亡くなる
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軍神
上杉謙信

上杉謙信の魅力

軍神でもあり、義将でもある
強さと優しさを兼ね備えた武将

生涯で70回もの戦に臨み、そのうち敗北したのは僅か2回のみだったことから「軍神」と呼ばれています。
「敵に塩を送る」ということわざは「敵である武田信玄の領国が塩不足に苦しんでいることを知り、塩を送った」という謙信の義の心が表れたもの。
そのとき謙信は「信玄と争うべきは弓(戦争)にあって、米塩ではない。」という名言を残しています。

高信仰をあらわす
太陽」と「」の鍬形

義将として知られる上杉謙信の兜は、太陽を表す日輪と三日月の鍬形が特徴的です。
彼は仏教に対する信仰がとても厚かったと言われています。
妙見信仰の中でも太陽と月の両者を信仰していたことから
戦場で自らを表す鍬形としてその両方を取り入れたと考えられています。

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上杉謙信について

1530年
越後国守護代の長尾為景の4男として誕生
1553年
川中島の戦い。東信濃の支配権をめぐり武田信玄と闘う
その後1564年までの間に計5回戦い、勝敗はつかずに終わる
1561年
第四回川中島の戦い。武田信玄と一騎打ちを行ったと言われている
1578年
遠征の準備中に倒れ、そのまま死去
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天下泰平
徳川家康

徳川家康の魅力

織田信長、豊臣秀吉ののちに、
天下統一へ導いた
三英傑」のひとり

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう 時鳥」ということわざにもあるように信長や秀吉という精鋭がいながらも、粘り強い忍耐で天下統一を成し遂げました。
264年も続く江戸幕府を設立し、太平の世を築いた天下人です。

天下を勝ち取った
繁栄長寿を表す兜

大きな兜鉢と、シダの葉と日輪の鍬形が特徴的な兜です。
出世兜と言えば、徳川家康と言われるほど。
シダの葉は常緑で枯れることがないことから「長生きして子孫を反映する」という意味を持っています。

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徳川家康について

1542年
三河国(現在の愛知県)を治めていた松平広忠の長男として誕生
1584年
小牧・長久手の戦い。織田信長の跡を継いだ
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と1年以上にわたり戦う
1600年
関ヶ原の戦い。石田三成を破り、事実上の天下人となる
1603年
江戸幕府を開く
1616年
病気で亡くなる。家康の死後、江戸幕府は1867年まで264年間続いた。
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日本一の兵
真田幸村

真田幸村の魅力

戦国の世を風のように生き抜いた
強く、慈悲深い武将

大坂冬の陣で活躍し「日本一の兵」とも讃えられた、戦国時代を代表する武将です。
若い頃の苦労でさえも生きる力に変えた強い意思と、豊臣秀吉に仕えた義の厚さは広く知られています。

神秘を感じる鹿の角
己の覚悟を宿した六文銭

鹿の角と六文銭が特徴的な兜。
鹿は古くから神の使いとして大切にされてきたことから、幸村は脇立に選んだと言われています。
さらに、六文銭は「命をかけるほどの覚悟」を意味するものとされてきました。
六文銭を兜につけることで、その意思の強さを自分にも敵にも示していたのでしょう。

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真田幸村について

1567年
信濃国(現在の長野県)の武将、真田昌幸の次男として誕生
1614年
大坂冬の陣。鉄砲をうまく利用し、徳川軍の攻撃を退ける
1600年
関ヶ原の戦い。石田三成の西軍に付き敗れ、流罪
1615年
大坂夏の陣。幸村は華々しく活躍するも戦死
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