雛人形の歴史と「這子(ほうこ )」
かつては雛人形や五月人形とともに飾られていた這子(ほうこ)は現在あまり一般的ではなくなりましたが、その背景や意味合いを考えると、とても親しみが感じられ、かわいらしい這子人形を探してみたくなるのではないでしょうか。
「這子(ほうこ)」とは?
這子(ほうこ)は、はいはい人形・はいこ人形とも呼ばれ、平安時代には飾られており、乳幼児の病気などを身代わりに背負ってもらうため、枕元に置かれていました。
うつぶせにすると子供がはいはいするような形をしており、当時は布で作られており中に綿をつめて出来ている人形であったようです。手触りが柔らかいため、後には子供の玩具として、現代のぬいぐるみと同じように遊ばれていました。厄除けの意味合いのほかに、乳幼児が健やかに成長し、早く這い這いするようにとの願いが込められていたようです。
「這子」と「天児(あまがつ)」との違い
天児(あまがつ)は這子(ほうこ)と同じようにつかわれていましたが、その形に大きな違いがあり、布でつくられた胴体を持つ這子(ほうこ)に対して、天児(あまがつ)は十文字形に作った木の棒の上部に、布で丸く仕立てた顔を取り付けたものです。十文字の胴部分に着物を着せた天児もありました。源氏物語にも、紫の上が自ら作ったと記されております。近世では、大きく分けて天児は京都の貴族階級を中心に飾られ、這子は、庶民を中心に飾られていたようです。
信仰的な意味を最後まではっきりと持ち続け、伝統的な特色ある姿かたちを変えなかった天児に対し、幼児の這い這いする姿に由来する這子人形。どちらも乳幼児を守る人形とされましたが、後には婚礼調度に加えられひな祭りにも飾られるようになります。中世では這い子が天児と呼ばれていたこともあるそうです。現在のような呼び名が定着するのは江戸時代の終わりごろといわれています。
現在に受け継がれる「這子人形」
雛人形は平安時代の「ひいな遊び」と呼ばれた貴族の遊びと「這子」のように、けがれや災いを人形に身代わりになってもらう文化が合わさって生まれたものといわれています。
最近人気の吊るし雛にも、チリメンで作られた這子が吊り下げられることも多く、飛騨高山地域では、赤い布が特徴の「さるぼぼ」とよばれる人形が親しまれております。少ないながら石膏や桐塑、紙塑等が素材の這子人形も貴重な職人によって製造され、販売されています。東玉でもちりめん這子キットの取り扱いがありますので、ぜひ手作りしてみてはいかがでしょうか。また、最近は、初節句の雛人形の脇飾りとして人気のあるほとんどの「つるし雛」のなかに、這子が中心に飾られております。
まとめ
子供が健康に育ち幸せになってほしいという親の願いは、いつの時代も変りません。かつては赤ちゃんが生まれると、子どもの無事な成長を願う母や祖母、親戚、そして近所の人たちまで、みんなで少しずつ小さな人形を縮緬などの布で作る風習の残る土地もありました。それを持ち寄ってひとつに吊るしたのが「つるし雛」と呼ばれます。そういった大掛かりなものではなくても、小さな一つの這子(ほうこ)を手縫いするだけで、お節句のお祝いと同じ意味合いが生まれます。そのやさしさを次の世代に伝えるために、這子(ほうこ)やそれにつながる人形を身近に飾ってみてはいかがでしょうか?