木目込み雛人形の美しさは受け継ぐべき日本の伝統
お雛様は長い歴史の中で色々な形で作られてきました。
その中で代表する技法のひとつに木目込みがあります。
木目込みとは木製の胴体の着物の襞や縫い目の部分に溝を彫り、溝に布地の端を入れ込んで着せ付ける技法で作られた人形です。この布地を溝に入れ込む作業を「木目込む」と言うことから「木目込み人形」と呼ばれています。
賀茂人形と呼ばれ、江戸時代の中期に京都の上賀茂神社の高橋忠重が神具の柳筥(奉納箱)を制作した際の余材で作ったことがはじまりとされています。
作られた当初は柳の木をひとつずつ彫刻し作られていましたが、明治時代に原型から型を作り桐の木を粉末にしたものに糊を混ぜ粘土のようなもの(桐塑)を詰め、型取りしたものを使用するようになりました。
この方法により本来の造形がそのままに多くの人に行きわたるようになりました。
そして職人たちのたゆまぬ研鑽の結果、木目込み人形は様々に発展し、270年の月日を経て現在に至るまで多くの人に愛され続けています。
木目込み雛人形に施される「木目込み(きめこみ)」技法
木目込みをする溝を彫る事を「筋彫り」と言うのですが、この溝の幅が狭い程、木目込みをする際に細かい細工や技術が必要になります。
細い溝に綺麗に木目込むと一色ずつの布地と布地の間が溝ではなく一本の線になり、まるで実際に着物を着ているかのような仕上がりになります。
東玉の工房では布地を裏に返し溝に糊を入れ、表に戻し溝に布地が沿うように入れる「返し」という技法で木目込みをしております。
はじめて木目込みを体験する方などはよく「押し込む」という表現を使われるのですが、そのように入れると溝の中で布地がかさ張り美しくみえません。
細い筋に返しの技法で入れることは大変根気のいる作業で熟練した職人でも1体を木目込むのに1日以上かかる場合があります。
雛人形に木目込み技法を使う理由
華やかで美しい衣裳着人形(十二単の人形)の良さとは一味違う、彫刻芸術に通じる工芸的な風合い・それぞれに個性のある造形・可愛らしいお顔 等々が木目込み人形の特徴です。特にコンパクトで可愛いおひなさまを製作するのに適した技法といえます。また、型紙で衣裳を仕立て、お顔は胴の大きさで汎用する衣装着人形と比べ、木目込み人形はお顔やボディー(胴体)の造形バリエーションが多様で、それぞれの作家の思い入れや感性がより表現される技法の雛人形といえます。
粘土などから原型を作るため、木目込みのお雛様は思わず手に乗せたくなる可愛らしいものや、平安絵巻から出てきたような雅なイメージのもの、芸術的要素の高いものなど、作家の個性が出やすく多種多様です。
また小さなサイズでも着ぶくれないためコンパクトな飾りも多く、型崩れがないので衣裳着と比べますと取扱いが簡単です。
木目込みの雛人形の街「岩槻」
太田道灌公が築いた岩槻城の城下町として、また江戸時代には日光御成街道の宿場町として栄えた岩槻はもともと桐の木の有数の産地でした。
さらにこの土地は人形づくりに欠かせない胡粉(ごふん)を溶く水に恵まれていました。
人形づくりに大切な桐材と水、また近くに江戸という一大市場があったことにより岩槻の人形づくりが盛んになりました。
このような自然の恵みが今日の岩槻人形を育んできたのです。
そして一説では、東照宮大修理のおりに京から呼ばれていた仏師が帰途についたとき、岩槻で病に倒れた際に医師の看病により回復した仏師は、そのままこの地にとどまり、桐の粉で人形を作る方法を編み出し、後世に伝えたといわれております。
その看病にあたった医師が、戸塚家の先祖だったといわれております。(東玉HPより)
岩槻の木目込み雛人形の伝統を守り続ける「東玉」
今では東玉の顔とも言うべき木目込み人形ですが、岩槻での木目込み人形制作はほんのわずかしかありませんでした。
岩槻木目込み人形の歴史に大きな影響を与えた「賢一」
「岩槻木目込み人形の歴史は以前、以後に分けられる」と言う声も聞かれるほど、鈴木賢一の影響は大きかったと言います。
1931年より御所人形作家の最高峰、野口光彦先生に師事。1953年には現代人形美術展特選。
1955,56年には日本美術展覧会入選するなど、気鋭の人形作家として活躍。
1964年東玉工房の主任作家となる。
生前「自分の技術はあの世まで持っていくことはできないのだから」、「私の知っていることは、一つ残らずお教えします」といって後進の育成に力を注ぎ、岩槻の人形づくりの技術向上に大きな役割を果たしました。
- 木目込人形 賢一 立雛飾り「木目込人形 江戸嵯峨」
賢一の優れた造形の立雛『寿々喜雛』。親王は飛翔する優雅な鶴の姿を表現し、他に類をみない独創的な創作造形です。最高技術「本金手描き胡粉蒔絵」で仕上げた衣裳のお雛さまです。
商品詳細
- 賢一の代表作の 『天平雛』を現代のニーズに合わせたサイズにした「天祥 龍村裂」
商品詳細
女の子が感じる可愛らしさと品格を大切にした「喜久絵」
日本独自の文化を守るため、人形づくりはどう時代と向き合わねばならないのか。東玉は常にそう自身に問いかけてきました。
2001年。その答えとして新しい雛人形シリーズを世に送り出しました。
シリーズを任せた喜久絵は、1970年に東玉工房に入門し、正確で丁寧な技術を持つ東玉工房を代表する人形作家です。
1970年の入門とともに風俗人形作家・戸塚玉芳に師事。
80年代半ばには衣裳着人形の藤比呂泰のもとで有職親王雛づくり、80年代後半からは鈴木賢一のもとで江戸木目込人形づくりに従事します。
「飾って思わず笑みがこぼれるような、そんな可愛らしいお雛さまをつくりたい」
難しい命題を考えすぎることでより難しく複雑にするのではなく、むしろシンプルにひな祭りの主役である女の子の目線に立つ。
「女の子が感じる可愛らしさを形にしよう」と考えながらも、「雛人形の品格を落とさない」。
そんな絶妙のバランスを見つけるため、妥協を許さない試行錯誤により生まれた雛人形シリーズ<喜久絵>は今では新作発表の展示会場などで「可愛らしいお顔を見ただけで、すぐに<喜久絵>だと分かる」と言われるほど、根強いファンを獲得しています。
- 喜久絵シリーズ人気№1の木目込人形親王飾り「桜子」
商品詳細
人形を通じて、家族の絆や両親から子どもへの愛情を感じられる「ゆかり」
2014年、東玉工房に新たな木目込み人形作家の名前がついたブランド「ゆかり」が発表された。
ゆかりは埼玉県川越市の出身。
大学生の時にテレビ番組で~母親が工房で人形づくりを学び、娘のためにこの世にたったひとつの雛人形を手作りするというドキュメンタリー~を観て人形の世界に入り、貪欲に学び技術を吸収し、職人として成長。異例の早さでブランドデビューを果たす。
ゆかりは人形業界に入るきっかけとなった番組を観たときのことをこう話します。
「人形に込められた母親の娘に対する深い愛情に心を打たれました。そして人形づくりがただモノをつくるのではなく、そんな人の思いと共にあることを知って、自分でも不思議なくらい人形の世界をもっと知りたいと思ったのです」
そんな「ゆかり」の作品からは人形を通じて家族の絆や両親から子どもへの愛情を感じます。
- 木目込人形 ゆかり 収納飾り「遊姫・収納」:かわいらしいお顔と衣裳が特徴のコンパクト収納飾りです。洋間にもピッタリな飾り台の中に、人形・付属品が全て機能的に収納頂けます。
商品詳細
- 木目込人形 ゆかり 収納飾り「遊燕」:育メンおとのさまの腕の中には、かわいらしい赤ん坊とそれを見守りあやす優しいおひめさま。淡いピンクの屏風にはっきりした色合いの衣裳が良く合います。収納タイプなのですっきりとしまえます。
商品詳細
まとめ
一口に木目込み人形と言っても、その造形や筋の多い少ないなどで作り方の難易度が変わってきます。手軽に作れる鞠のキットや、毎年ひとつずつ増やしていく楽しみのある、干支のキットも販売されており、現在では木目込み人形を趣味で作る方も増えております。
雛人形といえば衣裳着を連想する方が多数でしたが、近年ではコンパクトで可愛らしいお顔の木目込みのお雛様も人気が出てきています。
色々なデザインがあり優しい風合いが多い木目込みのお雛様は、お客様のお好みや住宅事情が多種多様な現代に合っているのかもしれません。
お雛様を飾ることにより家族の絆がさらに深まり、皆様が心豊かに日々お過ごしいただくことが東玉の願いです。