「右大臣」と「左大臣」正式名称では、ありません!
七段飾りにすると、親王・官女・五人囃子、と上段から数えて四段目に並ぶ人形です。
一般に随臣(ずいじん もしくは ずいしん)といいます。随身とも書きます。
どちらでも間違いではないのでご安心下さい。
雛人形の七段飾りでないと、お目にかかることのできない「右大臣」・「左大臣」
皆さんに馴染みある呼称ですが、実は本名があります!
「ハイ!右大臣こと「右近衛少将(うこんのしょうしょう)です!」
「ハイ!左大臣こと「左近衛中将(さこんのちゅうじょう)です!」
そして悩むのが並び位置。右大臣だから、『人形を並べている、私からみて右』?
いえいえ、正解は『お内裏様側からみて右』なのです!
それは何故かというと、当時は左の方が右よりも上位であると考えられていたためです。そのため正しい右大臣・左大臣の並び方は、男雛から見て右に右大臣、左に左大臣となるのです。
「随臣(ずいしん)」は警護係
装束は「闕腋袍(けつてきほう)」という武官(君主から命じられた軍人の長官)の束帯です。
武官の外出正装である装束を着せて作られます。
役職や位のわかるポイントのひとつに、冠(かんむり)の後ろに挿してある纓(えい)と呼ばれるものがあります。
卷纓(けんえい)といい、武官の装束の一部としてつかわれるものです。冠の紐に付いている緌(おいかけ)が頬の横に来るように付けます。緌(おいかけ)は冠を固定する役割があります。かつて冠が外れて頭髪を晒すことは男子にとって恥とされていました。冠を糸に委ねるという漢字はそのような意味もあります。
弓や太刀を身に着け、履物をはいているので『大臣』というと「おや?」と不思議に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
本当の役職は、お内裏様の大事な警護の役目を担っている「随臣」なのです。いまで例えるならボディーガード、といったところでしょうか。
随臣は「随身」とも書き、昔、上皇・関白を賜わった貴人が外出するときに、剣を帯び、弓矢を持って供奉する右近衛、左近衛の舎人(とねり:警備や雑用などに従事していた者。その役職のこと)と言われています。つまり太政官のことであり、左大臣はその長官ともいえます。
右大臣は力を司る随臣です。
右大臣は力をあずかる若者で、向かって左側に立ちます。
衣裳着人形では白いお顔です。
赤い衣裳を身にまとっています。
人形の右手に矢を持ち、左手に弓を持たせます。
左大臣は知恵を司る随臣です
知恵をあずかる老人は左大臣。衣裳着人形では赤い顔で白い髭をたくわえて、作られることが多いですが、木目込み人形では右大臣と同様、白い顔で、衣裳が黒いものを身にまとい、人形の右手に矢を持ち、左手に弓を持たせます。
飾る位置としては、向かって右側になります。
右大臣と左大臣はどちらが偉いの?
『紫って、高貴な人が着る色だよね』そんな話を耳したことはありませんか?
先に述べた通り、随臣は年長者が黒、若者は赤の装束です。
日本では【色】によって、地位と身分が示されてきたのです。
推古天皇、聖徳太子によって冠位十二階の官職・位階の色が制定され、「黒」は橡(つるばみ)と称する四位以上の装束、「赤」は蘇芳(すおう)という五位以下の装束であるため、雛人形の飾りでは左大臣・つまり黒い衣裳の人形が上位とされるのです。
日本には古来から左上位の考えがあり、身分にも同様の考え方をします。
現代のビジネスマナーでも、何処が”上座”か、などのルールがある様に、昔からの”慣例”や”仕来り”は、今も受け継がれているのでしょう。
朝廷での官職の順位は 左大臣、次いで右大臣となります。
左大臣はいまで言う内閣総理大臣に当たります。右大臣はそれを補佐する重要な人物。
雛人形の飾り方は、厳格な決まりがあるわけではありません。時代や地域によっても異なります。
しかし、お内裏様にしてみたら、自分を守ってくれるなら、どちら側にいてくれてもいいよ、と思ってくれているかもしれませんよね。
さぁ、自分が人形に変身したつもりで想像してみましょう。
どちらが上位だったか、わかりましたか?
もしかして、お笑いコンビの衣裳選びにも、上位の色は僕が!なんて、相談して決めているのかも・・・。
そんな想像をしてみると、意外な一面が見えてくるかもしれませんね。