内裏雛は天皇皇后のお姿を表現した雛人形
サトーハチローの、「うれしいひなまつり」の歌詞にもでてくる
「♪お内裏様とお雛様二人並んですまし顔~・・・」
「内裏」とは、読み方は「だいり」で天皇の住む御殿、皇居のことをいいます。平安京の内裏は、南に紫宸殿(ししんでん)、清涼殿(せいりょうでん)などの天皇関係の殿舎、北側に弘徽殿(こきでん)などの後宮関係の殿舎を配し、回廊で結び、周辺を築地(ついじ)で囲みました。
つまり、この内裏に雛がついた「内裏雛(だいりびな)」とは、天皇・皇后のお姿を模した一対のお雛様を言うことになります。内裏雛の装束は、男雛は縫腋袍(ほうえきのほう)という衣冠束帯姿。女雛は十二単のお姿の正装です。
雛飾りのなかにある「左近の桜」「右近の橘」。これも、御所の内の紫宸殿の前庭の風景を写しています。
雛人形は、皇室の御慶事をイメージしてつくられているわけです。
ちなみに、サトーハチローの歌詞のなかの「♪お内裏様と~・・・」は男雛を指していますが、これは誤りです。
内裏雛の男雛の役割と小道具の説明
内裏雛(だいりびな)の男雛は、言葉の意味合いの通り天皇をイメージしたお雛様といえます。
ここからは、内裏雛の詳細を説明してゆきます。
内裏雛・男雛の衣裳について
男雛の衣裳で最も代表的なものは、「黄櫨染御袍(こうろせんのごほう)」といわれる、古代から現代へと連綿と続く天皇だけがお召しになることができる、まさに伝統と格式の衣裳です。主に櫨(はぜ)や蘇芳(すおう)の自然の染料を使い、黄褐色に染め、地模様には桐・竹・鳳凰・麒麟が織り込まれた絹織物。この黄櫨染の衣裳の色は、中天に輝く太陽を表し、天皇にのみ使用が許された禁色です。
天皇が即位礼などの重要な儀式に臨む際に着用する束帯装束です。
また、衣裳の着用法には「高倉流」「山科流」といった有職故実にのっとった着せつけ方があり、これを参考に男雛は製作されています。
ちなみに皇太子は、黄丹御袍(おうにのほう)とよばれる装束で、昇る旭日を象徴した深みのある、オレンジ色です。
このように宮中では、位により衣裳や装飾品が決まっていました。
内裏雛・男雛のお顔について
現在のお雛様のお顔(※頭:かしら)の原型の材料は石膏が中心となっています。古くは、木彫(もくちょう)、桐塑(とうそ)・桐の粉などで作られていました。
髪の毛は、スガ糸とよばれる絹やレーヨンの細糸を黒く染めたものを素材として使い、丁寧に頭部に植え付けます。生え際は小筆で一筆一筆、細かく手描きされます。また近年では、こうした伝統のお顔の表情に加え、うっすらとメークなどを施した、スマートで「イケメン風」な男雛・女雛のお顔も登場しています。格式のある雛人形の世界にも少しづつ変化が見えはじめています。
衣裳着人形の「目」は、人形用の義眼を埋め込んだものが大半ですが、特に木目込人形では、全てを手描きで仕上げるお顔が主流となっています。
完成されたお顔は大まかに分類すると、「京風」と「関東風」とに大別されます。
京風は切れ長の古典的なお顔で、鼻筋の通ったいわゆる「しょうゆ顔」、関東風は目が大きめで比較的ふっくら顔の「ソース顔」といえます。
内裏雛・男雛の小道具について
内裏雛の男雛の小道具を見てみましょう。まずは冠(かんむり)です。
冠の上部に直立する部分は「纓(えい)」と呼ばれ、これが垂直に立つのは天皇の位を意味します。まさに内裏様は、天皇をイメージさせるということです。
手に持つ持ち物は「笏(しゃく)」。一位(いちい)の木で作られます。上位の人が持つもので、威厳の象徴といえます。腰には「太刀(たち)」を佩きます。日本刀より古い時代の直刀の太刀が基本です。
その他に男雛が装着する小道具としては石帯(せきたい※黒革製の帯)につるす「魚帯(ぎょたい)」があります。装飾品で魚の形をした符(ふ)の袋で位により色が決まっていました。
女雛の役割と小道具の説明
内裏雛の女雛は、平安朝の十二単(じゅうにひとえ)を身に纏う皇后になぞらえた人形といえます。雛人形の世界では「お姫さま」と呼ばれています。
内裏雛・女雛の衣裳について
女雛の衣裳は十二単と呼ばれる装束です。
幾重にも重ね着する様を「十二」という言葉で表現しています。一般的に十二単という場合は、当時の最もフォーマルな装束とされる「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」を指すことが多いようです。これは当時の男性の「束帯(そくたい)」に相当する正装、フォーマルウェアです。
着装は、まず下着として「小袖(こそで)」を着用し、その上に赤色系の「長袴(ながばかま)」を穿き、小袖の上に「単(ひとえ)」と呼ばれる薄手の着物を着用します。単の上には、いよいよ十二単の見せどころ「袿(うちぎ)」を着用します。当時の女性の最大のおしゃれポイントがこの、袿の色目のコンビネーションで「襲の色目(かさねのいろめ)」とよばれます。この色襲(いろがさね)がお雛様の襟や袖口に美しく表現されます。袿は一般的には五枚重ねで「五衣(いつつぎぬ)」とよばれます。
平安王朝時代の襲(かさね)の色目は季節を表現したとも言われます。
たとえば春なら「紅梅」「桜」「山吹」「柳」など。
夏なら「卯の花」「菖蒲」「撫子」。秋になれば「桔梗」「女郎花(おみなえし)」「紅葉」など。冬には「雪ノ下」や「枯色」などがあります。
袿の上に「表着(うわぎ)」を着装します。打掛に相当する衣裳なので豪華な織物で作られます。
現在の女性皇族はこの表着に自身の「お印(おしるし)」※自身のシンボルマークとなる植物・花などが織り込まれた衣裳を身に纏います。
またこの上に「唐衣(からぎぬ)」とよばれる正装時の着物を着用します。背後の腰部に「裳(も)」をつけ、着装完了となります。現代のお雛様も、ほぼ、この着装順に衣裳の着せ付けを行っています。
内裏雛・女雛のお顔について
女雛も男雛と同じく大別すると「京風」と「関東風」とに分かれます。
関東風は、目がパッチリ「かわいい」系。京風は切れ長の古風な「美人」系でしょうか。
お雛様の髪型は、現在の皇室行事・慶事でも見られる「大垂髪(おおすべらかし)」とよばれるもので、これは江戸時代になってからの皇族や公家の正装の際の髪型です。
また口元をよくご覧いただきますと、「お歯黒」のお雛様も多数あります。
お歯黒は三人官女の中にも見られ、既婚者と独身者を区別する意味があったようです。現在のお雛様の材料は、一般的に石膏頭です。肌のおしろいは、胡粉(※貝殻を粉状にしたもの)でお化粧し、髪付けをし、眉・紅差しの筆仕事で仕上げます。
内裏雛・女雛の小道具について
女雛の持ち物(小道具)は、「檜扇(ひおうぎ)」とよばれる檜もしくは杉の薄板で作った扇です。有職故実にのっとった松や鶴などの絵が描かれました。
宮中での行事の作法などが記載されたメモなどを貼りつけていたようです。今でいうカンニングペーパーでしょうか。また、上流階級の女性はみだりにお顔をさらすのを避けるため、顔を隠す役割もあったようです。
「内裏」とは天皇家の宮殿です
「内裏(だいり)」とは天皇の住む宮殿・皇居のことをいいます。御所、禁裏、大内などの別称があります。
平安京(京都)内裏の中の正殿が「紫宸殿(ししんでん)」と呼ばれ、天皇が政務を摂る場所であったとされます。「天子南面す」の言葉通り、南向きに建てられており、前庭には天皇からみて左手に桜の木(左近の桜)、右手に橘(右近の橘)が植えられていました。雛人形の飾りの多くに桜・橘が飾られるのは、この紫宸殿の風景をイメージしてのことです。
天皇から見て左手が東に当たり日の出の方角ということもあり、高貴な(上位)のものが左方に位置しました。このため今でも京都で作られたお雛様は左手に男性が座るとされます。(雛飾りの左大臣・右大臣の位置関係もこれに基づきます。)
京式の男雛・女雛の並べ方は平安京当時の紫宸殿での天皇・皇后のお姿を映して、向って右(東)に男雛(天皇)、左(西)に女雛(皇后)の順に飾ります。
そのため地域や時代によって並べ方(左右の飾り方)が違うのもおかしくはないのです。
こうしてひな人形のあれこれを見てみると、奈良・平安時代から続く日本の伝統に根差したものだとわかります。こんなにも深く天皇や皇室の文化とかかわっているなんて驚きですね。お雛様が何となく、神々しく感じられるのも理解できるような気がいたします。
江戸時代、「ひな祭り」は別名「桃の節句」ともいわれ、五節句のひとつでもありました。
「節句」とは、季節の変わり目に供御(飲食物)を供え、邪気を払い、無病息災を願う伝統的な行事で、「節供」とも書きます。
もともとは、「祈り」としてのお雛様が時代とともに変化し、現在は生活に心の豊かさ・潤いをもたらすものとなっています。お雛様の側に飾るものも色々あります。地域的に飾られていた”吊るし飾り”などが、飾られるようにもなりました。名前と生年月日が刺繍などされた”旗”も飾られる様になってきています。伝統や格式に囚われずに、雛人形の周りを彩ってあげましょう。
女の子の幸せを祈る桃の節句・ひな祭り。家族の絆を確認する大切な一日。これからも日本の伝統文化と共にずっと受け継いでゆきたいものです。