大切な存在とお別れすること~人形供養祭について~
例えば私たちが何かものを捨てる時。 「捨てる」ということへの罪悪感と寂寥感を、少なからず抱いてしまうと思うのです。 汚れてしまったけれど手になじんだ雨傘。 娘に初めて買ってあげたヘアアクセサリー。 たんすの奥から出てきたおじいちゃんの手袋。 子供のころ読んでもらった絵本。 嫁入り道具として持たせてもらった食器棚。等等。 束の間でも出会った「もの」は、もはや単なる物体としての「もの」でなく、自分や大切な人と時間を共有した、思い出の宿る存在になってしまいます。
自然と、それをくれた人のことや、使っていた人自身の思い出などが、脳裏に浮かんでしまうのではないでしょうか。 ましてやお人形となると、それこそ、鼻をかんだティッシュのように捨てるのはなかなか難しいと思います。お人形は、そのお人形を買った方のお気持ちがこもった品であることも多いですし、日々そのお人形を目にしていた方々の思いもあるかもしれません。そうでなくても、お人形には、古来より、持ち主を見守る、または身代わりになって守るという役割があると考えられています。 そんな役割のお人形たちですから、彼らがもし話せたら、最後お別れするとき持ち主に、申し訳なく思わないでほしい、寂しく思わないでほしい、と言うと思うのです。 前置きが長すぎましたが、「人形供養祭」は、そんなお人形たちとの、お別れの儀式です。人形の町岩槻では毎年11月3日文化の日におこなわれます。 以下、人形店スタッフの個人的な意見ですが、
毎年たくさんの方々が大切なお人形をお持込になるのを見ていると、「人形供養祭」は、お世話になったお人形たちのため、というよりは、やむなくお人形とお別れせざるをえなくなった私たちに、気持ちの区切りをつけてくれる行事のように思えます。 お人形を手離す際の罪悪感や寂しさが、供養に出すことによって、不思議と、感謝や前向きな気持ちに変化してくれるのかな、と。
なかには、置いていくお人形の頭をなでたり、合掌したり、「ありがとう」と声を掛けたりされるお客様をみると、やはり、改めて、人形は心理的にも飾る人のそばに在るものなのだなと実感します。 この「人形供養祭」は、私たちスタッフにとっても、改めてお人形を飾ることの意味、そばに置くことの意味を、考えるきっかけになる行事にもなります。 毎日のように集まってくるお人形たちを見ながらそんなことを思いました。 人形供養祭について詳しくは下記リンク先をご覧下さい。当店での事前受付は10月27日(日)到着分までです。 https://tougyoku.com/topics/ningyou_kuyou.html