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羽子板は遊ぶ?飾る?お子様に教えてあげたい正月の羽根つき遊び

2024年11月6日

羽子板 コラム

羽子板は遊ぶ?飾る?お子様に教えてあげたい正月の羽根つき遊び

みなさんは、羽子板(はごいた)で羽根をつく遊び「羽根つき」をご存知ですか?
これは日本に古くから伝わる伝統的なお正月の遊びです。
現代の親御さんたちにとって、羽子板は「羽根つき遊び」に使うと言うよりも、初正月を迎える女の子に贈る「羽子板飾り」のイメージの方が強いかもしれません。

確かに羽子板は、女の子の健やかな成長を見守ってくれる「大切なお守り」です。それと同時に羽子板は古くからお正月の女の子の遊びとして活躍してきたものでもあるのです。

最近ではお正月だけでなく、普段から外で遊ぶ子供が減ってきてしまいましたが、やはり子供は元気に外で遊び回ってくれるのが一番です。
羽子板を使った遊び方を覚えて、ぜひお子さんたちに伝えていってあげてくださいね!

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お正月の「羽子板遊び」と「羽子板飾り」の始まり

お正月の「羽子板遊び」と「羽子板飾り」の始まり

羽子板の歴史はとても古く、既に室町時代には登場していました。
『下学集(かがくしゅう)』と言う文安年間(1444年頃)に書かれた辞書には、「羽子板」の説明として「正月に用いるもの」としっかり記されているそうです。
そして羽子板で羽根をつく「羽根つき遊び」も、その時代から行われていたのです。

羽子板遊びの起こり

「羽根つき遊び」のもとになったのは、室町時代に行われていた「毬杖(ぎっちょう)遊び」とされます。
これは先端がヘラのような形の杖で毬(まり)を打ち合うもので、宮中の貴族たちの遊びでした。
その杖が羽子板、毬が羽根に取って代わり、「羽根つき遊び」をするようになったのです。

その当時の宮中の様子が記録された『看聞日記(かんもんにっき)』からも、女官たちが男組と女組に分かれて、お正月に羽根つき遊びをしていたことがわかります。
ただ、その頃は「女の子の遊び」と言うよりは、「厄除け」の意味合いが強かったようです。
しかし、なぜ「羽子板遊び」が「厄除け」になるのでしょうか?

羽子板遊びに込められた「厄除け」の願い

そもそも室町時代に宮中で「羽根つき」をしていたのは、羽子板で羽根をつくことで「邪気をはね(羽根)除ける」と言う意味があったと言います。
当時、羽子板に描かれていた絵柄も「松竹梅」などの縁起ものや、邪気除けとなるものが多かったようです。

特に好まれた絵柄に「左義長(さぎちょう)」がありますが、これはもともと当時の宮中でお正月に行われていた「悪魔祓い」の儀式を描いたものでした。
羽子板の板の形が縁起の良い「末広がり」なのも、「その年の末(先)が広がって(発展して)いきますように」と言う願いが込められているのです。

羽子板遊びの羽根には「無病息災」の意味がある

室町時代には羽子板は「胡鬼板(こぎいた)」、羽根は「胡鬼子(こぎこ)」と呼ばれていたのですが、「胡鬼」と言うのは古代中国で「トンボ」のことです。
確かに羽根つきの羽根が空中を舞う様子は、空を飛ぶトンボの姿に似ていますよね。

トンボは感染症を運ぶ蚊を食べてくれると言うことからも、年のはじめに無病息災を願って羽根つき遊びをしていたと言われます。

更には、羽根の先についている黒くて硬い玉にも無病息災の願いが込められています。
あの黒い玉の正体は「無患子(むくろじ)」と言う大木の種です。
その名の通り「子が患うことの無いように」と、羽子板と羽根が「女の子のお守り」の意味を持つようになったのです。

関連記事:「お正月の羽子板の基礎知識!意味は蚊除け?形はトンボに由来?」

    商品詳細

     羽子板「壁掛け:7号凛/無垢」

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    50,600円(税込)

    幅21×奥行9×高さ30cm

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    正月飾りとしての羽子板

    正月飾りとしての羽子板

    「厄災除け」の意味をもった羽子板が羽根つき遊びの道具ではなく、お正月に飾られるようになったのも室町時代です。
    前述した『看聞日記(かんもんにっき)』には、当時の足利将軍が年末に宮中へ羽子板を贈ったと記録されています。

    貴族や武士の間では、男の子の赤ちゃんが生まれたら「破魔矢(はまや)・破魔弓(はまゆみ)」、女の子には「羽子板」を贈るのが慣習でした。
    これらは、赤ちゃんの健やかな成長を見守ってくれるよう「無病息災のお守り」として大切に飾られたのです。

    江戸時代になり庶民文化が盛んになると共に、羽子板遊びや女の赤ちゃんに羽子板飾りを贈る風習は、宮中や武家だけでなく日本全国に広がって行ったのです。

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      羽子板を使った伝統的な遊び方

      羽子板を使った伝統的な遊び方

      羽子板や羽根つきの由来がわかったところで、今度はその遊び方について見ていきましょう。

      昔ながらの羽子板遊び「追羽根遊び」と「揚羽根遊び」

      伝統的な羽子板を使った「羽根つき」の遊び方には、「追羽根(おいばね)遊び」と「揚羽根(あげばね)遊び」の2種類があります。

      「追い羽根遊び」は、空中に舞う羽根を追う遊び。
      つまり、バドミントンのように2人で向かい合って打ち合う遊び方です。
      どちらかが落とすまで、羽子板で羽根を打ち続けます。
      見たことがある方も多いかもしれませんが、昔ながらのルールでは羽根を打ちそこなって落としてしまった人は、罰として顔に墨(すみ)をつけられたりします。
      この顔に墨を塗ると言うのも、実は「魔除けのおまじない」から来ているそうです。

      もう一方の「揚羽根遊び」は、羽子板で羽根をついて真上に揚げ続ける遊びです。
      サッカーで言うリフティングのようなものですね。
      揚羽根遊びはひとりでも遊べますし、羽子板で羽根を落とさずにつけた回数を誰かと競い合う遊び方もあります。

      羽根つき競技

      もともとの羽根つきは、お正月を楽しく過ごすための女の子の遊びです。
      しかし、実は「スポーツ競技としての羽根つき」もあるのをご存知でしょうか?

      毎年お正月明けには、全国各地で「羽根つき大会」が開催されています。
      これはバドミントンのように、コートでネット越しに羽子板で羽根を打ち合ってポイントを競い合う大会です。
      お正月の「追羽根遊び」のように1対1で打ち合うだけでなく、他のスポーツ競技のようにダブルスや団体戦も存在します。
      年のはじめの「厄除け」の願いを込めて、お住まいの地域の「羽根つき大会」に参加してみてはいかがでしょうか?

      初正月を迎える赤ちゃんには「羽子板遊び」よりも「羽子板飾り」

      初正月を迎える赤ちゃんには「羽子板遊び」よりも「羽子板飾り」

      ここまで羽子板遊びについて見てきましたが、やはり近年は「羽根つき遊び用の羽子板」よりも「正月飾り用の羽子板」の需要の方が圧倒的に高くなっています。

      年末に羽子板を贈ったり、お正月に羽子板を飾ったりする風習は室町時代から貴族や武士の間でありましたが、これが庶民の間に広まったのは江戸時代からです。

      当時人気のあった歌舞伎役者が羽子板の絵柄に使われるようになり、年の暮れに全国各地で開催される「羽子板市」は大盛況だったと言います。

      この頃から以前はシンプルだった羽子板はどんどん華美になり、その絵柄だけでなく使われる素材や製造技法も次第に進化していきます。

      関連記事:「女の子の初正月に『羽子板』を贈る前に知っておきたい基礎知識」

      「押し絵」と言う羽子板づくりの技法が生まれたのも江戸時代です。
      「押絵羽子板」とは、綿を布でくるんだピース「押絵細工」を桐板の上に組付けて絵柄を完成させた華やかで美しい羽子板です。

      この「押絵羽子板」は歌舞伎の人気と共に発展し、江戸時代から明治にかけて盛んに製造されるようになり、江戸工芸・東京の職人芸として定着しました。

      現代でも羽子板飾りの主流は、華やかに作られた「押絵羽子板」です。
      東玉のある埼玉県さいたま市「人形のまち岩槻」は、雛人形や五月人形はもとより「押絵羽子板」の産地としても知られています。
      ぜひ一度岩槻まで足を運んで、日本の誇る伝統工芸の数々をご覧になってください。

      「人形のまち岩槻」で羽子板・雛人形・五月人形を作り続ける東玉のご紹介はこちらをご覧ください。

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