ひな祭りの風習!場所や時代でこんなに違う
ひな祭りの特徴ある風習やイベント
ひな祭りはその歴史の中で日本各地に広がり、根付いた地方によっての特徴的な風習やイベントがあります。その一部をご紹介いたします。
まず、各地方で行われている様々なひな祭りイベントのご紹介です。
「甲州市 えんざん桃源郷 ひな飾りと桃の花まつり」(山梨県甲州市)
2月から4月に桃の花の見頃にあわせて江戸・明治・大正・昭和各時代のひな人形と甲州をイメージした「つるし飾り」を展示しています。
「鴻巣びっくりひな祭り」(埼玉県鴻巣市)
3月上旬頃、伝統工芸品である「鴻巣雛」を31段高さ7mの巨大な「ピラミッドひな壇」を飾ります。また街角のひな飾り「まちかどひなめぐり」も同時に展示されます。
「飯能ひな飾り展」(埼玉県飯能市)
2月下旬〜3月中旬に、ムーミンバレーパーク・メッツァビレッジで有名な埼玉県飯能市では、文化財である「店蔵 絹甚(きぬじん)」や郷土館・店舗・個人参加のお宅などで貴重な年代物のお雛様を展示しています。
百段階段でひなまつり(茨城県久慈郡大子町)
3月3日、又はその直前の土日に年1日限り開催。十二所神社参道「百段階段」に約1000体もの雛人形を飾ります。町内約150ヶ所の商店では2月中旬より3月3日まで雛人形を展示しています。
江戸流しびな(東京都台東区)
3月初頭。子どもの無病息災をひな人形に託し川に流す「流しびな」で春の訪れを告げる隅田川の風物行事。公募による一般参加の方1,500名に加え、地域の園児の皆さんが流しびなを行います。
かつうらビッグひな祭り(千葉県勝浦市)
2月中旬〜3月3日。遠見岬(とみさき)神社の60段の石段に約1,800体の雛人形を飾る他、市内各所に約30,000体のひな人形が飾られる街全体がひな祭りになるイベント。
ここからは、各地方にのこるひな祭りの風習をご紹介いたします。
ひな祭りの風習「伊賀モチ」(愛知県名古屋市)
愛知県の名古屋地方のひな祭りでは「伊賀餅」を食べる風習が残っています。伊賀餅とは、糝粉餅(しんこもち)で餡を包んだお餅に糯米(もちごめ)をまぶして蒸した菓子。
ひな祭りの風習「からすみ」(岐阜県東濃地方)
「からすみ」は一般的に認知されているボラの卵の加工品ではなく、米粉にヨモギや黒糖、クルミなどを練り込み蒸し上げた和菓子。ひな祭りのお菓子として食べる風習があります。
ひな祭りの風習「つるし雛」(福岡県柳川市ほか)
「吊るし雛」は小さな雛飾りをたくさんつけて吊るした可愛らしい雛飾りです。福岡県柳川市のほかにも、静岡県や山形県でも盛んで「三大吊るし飾り」として有名です。
ひな祭りの風習「もちがせの雛送り」(鳥取県鳥取市用瀬町)
鳥取県鳥取市用瀬町では、毎年旧暦の3月3日に千代川(せんだいがわ)に流し雛として送る風習があります。昭和60年6月25日に県指定無形民俗文化財に指定されており、雛人形の他にも桃の花や白酒、ひし餅など添えて無病息災を願います。
ひな祭りの風習やマナーについて
現代のひな祭りの姿と風習
ひな飾りには人形と一緒に桜や桃の花、雛あられや菱餅などを飾るのが伝統的ですが、これらのお菓子はもともと雛人形へのお供え物だったそうです。
最近では伝統だけに縛られないケーキなどの洋菓子デザートも喜ばれています。
関連記事:ひな祭りの菱餅って何で3色なの?意味と由来を解説します。
他にもちらし寿司やハマグリの料理や白酒を用意してお祝いしますが、これらのお菓子や料理は全て、昔から「魔除け」だったり、女の子の「長寿」や「健康」を願って食べられてきたものです。
関連記事:「ハマグリのお吸い物」がひな祭りのお食事に出てくるのはなぜ?
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こういったひな祭り料理も肉料理を初め、現代の子供が喜ぶ様々なアレンジ料理が登場しています。
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ひな祭りのお祝いやお返し、ご招待などのマナー
初節句のお祝いをいただいた場合の現代の風習は、御祝の食事会にお招きすることが「お返し」にあたりますので特別にお返しを用意する必要はありません。
遠方にお住まいの方からの初節句のお祝いをいただいた場合は
・お礼状を出します。(3日以内位)
・内祝いとしてお礼の品(縁起物)を送ります。(一週間以内〜3月中)
お礼の品の金額はいただいた金額の3分の1から2分の1位のものをお返ししましょ
う。
関連記事:初節句の内祝いをいただいたら、どんな「お返し」をすれば良いか?
ひな祭りの風習と雛人形の歴史
ひな祭りの風習は時代による変化だけでなく、各地方によっての違いも大きいようですね。
この時期にお住いの地域以外の場所に行く機会があったら、ぜひ全国各地の様々なひな祭りの風習を見比べてみてください。きっと新しい発見があり、地元のひな祭りをもっと楽しむことができるようになりますよ!
また、ひな祭りに飾られる雛人形にも各地の特徴があったようです。現在の一般に雛人形と呼ばれる人形のルーツは京都にあり、西陣の織物の衣裳と胡粉で白く仕上げられたお顔の雛人形は衣裳着人形と呼ばれ、今も伝統技法によって製作されています。
しかしこの衣裳着人形は高価であり、また簡単に流通していなかった時代では、各地で地方色のある雛人形が作られていました。富山の土人形、山形の相良人形、長野県の土雛などご当地ならではの雛人形が飾られていたようです。
昭和になり、高度成長下で庶民にも衣裳着人形が手に入りやすくなる以前から、親が子供の健やかな成長を願う雛人形文化は、ご当地の手工芸品として独自に発展し、現在も地元に親しまれているようです。
ひな祭りは三月三日の女の子のお祝いです。
桃の花が咲く時期の行事なので「桃の節句」と呼ばれたりしますが、正式名称は「上巳の節句(弥生の節句)」と言い、七夕や端午の節句と同じく五節句のひとつです。
この時期女の子がいるご家庭ではひな人形を飾り、白酒や桃の花などを供えて女の子の健やかな成長と幸せを願います。
ひな祭りの歴史は古く、平安時代中期ごろから始まったとされます。
今日ではひな人形を飾ってお祝いするひな祭りですが、当時は祓いの行事のひとつとして行われていました。
古代の中国では、邪気に見舞われやすい忌み日である「上巳の節句の日」に水辺でみそぎをする習わしがあり、そこから人形に穢れ(けがれ)を移し、水に流してお祓いをする風習が生まれ日本に伝わったのがひな祭りの始まりだと言われます。
この記事では、時代によって移り変わってきた「ひな祭り」についてお話しします。
ひな祭りの人形の形やその用いられ方は、時代とともに移り変わってきました。
ここではその風習の変貌を見ていきましょう。
形代(かたしろ)
「形代(かたしろ)」とは源氏物語にも登場する行事で、穢れ(けがれ)を人の形の紙や草木に移して海や川に流すというものです。病は穢れより起こると考えられており、穢れを形代に移すことにより無病息災を祈願するものでした。
当時、紙は大変高価だった為、草木を使う場合も多かったようです。
天児(あまがつ)・這子(ほうこ)
古代では疫病などの災厄を引き受ける身代わりの「ひとがた」を作って身代わりとする風習がありました。人形に自分の穢れを移し、水に流して厄を祓う「流し雛」は現在でも日本各地で行われていますよね。
それが身に着けたり家屋内に安置できるよう小型になり「天児」や「這子」などの「撫で物(お守り)」になりました。
平安時代には、貴族階級の子女が紙の人形を作って「ひいな遊び」をするようになりました。『源氏物語』にも「雛(ひいな)遊び」という言葉が登場します。
室町時代には、公家の間で雛と雛道具を若い婦人に贈るという習慣があったそうです。それが江戸時代に庶民へと伝わり、女の子のお祝いとして人形を飾るひな祭りになったと言われます。
関連記事:「天児(あまがつ)」は雛人形の祖先?歴史から知る雛人形の歴史
立雛・ 紙雛
近代では豪華な「座り雛」を飾るようになりましたが、江戸時代の享保のころまでは質素な「紙雛(立ち雛)」が一般的でした。形代の形状を踏襲しており紙でできているものも多くあったようです。
室町雛
室町時代に入ると、雛人形もいままで立っていた「立ち雛」から「座り雛」が登場します。飾ることを目的とするには、座った姿が安定していて都合が良かったのかもしれません。
この室町雛も「室町雛」という名前で江戸期に製作されたという説もあります。
関連記事:座り雛の元祖は「室町雛」それとも「寛永雛」? 雛人形が立ち姿だった時代も。
寛永雛
江戸初期になると「寛永雛」という雛人形がつくられ、雛人形の主流も「座り雛」へと移り変わってゆきます。特徴としてお雛様のお顔が「面長の顔」のお顔になってゆきます。サイズはコンパクトで男雛が少し大きめの12cm、女雛は9cm程の物が主流でした。
関連記事:座り雛の元祖は「室町雛」それとも「寛永 雛」?雛人形が立ち姿だった時代も。
享保雛
享保雛は日本各地に広まったお雛様で、各地でサイズに差があり大きな物だと60cmもあるお雛様まで作られました。後に八代将軍徳川吉宗の「贅沢禁止令」により雛人形のサイズ制限が設けられた為、小さな品も多く作られています。
関連記事:享保雛(きょうほびな)とはどのような雛人形なのか?
次郎左衛門雛
次郎左衛門雛は1660年頃に、京都の人形師・雛屋次郎佐衛門により始められた雛人形で、当時の公家や諸大名に大変人気があったということです。
古今雛
「古今雛」とは江戸後期に日本橋の原舟月という人形師によって作られた雛人形です。男雛は束帯、女雛は平安時代の上級公家の正装「五衣唐衣裳」を模した華麗な装束を身にまとっています。
人形の目の玉に水晶やガラスの「玉眼」がはめ込まれていることが多く、女雛の髪型は「大垂髪(おすべらかし)」で、その前髪を上げておくために「釵子(さいし)」と「額櫛(ひたいぐし)」が使われているのも特徴です。その他、「天冠(てんかん)」と呼ばれる大きな金の冠をつけた女雛が多いのも古今雛の特徴と言えるでしょう。
雛段飾り
江戸時代初期までは、敷物を引いた台の上にひな人形を並べた簡素なものでした。しかし江戸中期頃になると祝い事には奇数が良いという考えから、5段や7段の段飾り雛が広まっていきました。
御殿飾り
明治から大正時代にかけて京都や大阪で多く飾られていた御殿飾りは、豪華で大きな雛飾りで、京都の御所・紫宸殿を模したものです。時代が進むにつれて、収納の不便さや雛人形の画一化により次第に姿を消してゆきました。
関連記事:「御殿飾り」は京の御所・紫宸殿(ししんでん)を模しています
2023年現代のひな人形
現代のひな人形は生活環境の変化からモダンで洋間に合うタイプが増えました。収納場所も限られたスペースでしまう事ができる収納飾りや、小さくてかわいい木目込み人形、飾り台がセパレートタイプになっている物もあります。
一部をご紹介します。
- 木目込人形 喜久絵 収納飾り「柑愛A五人」:35㎝の間口で飾ることができるコンパクト収納五人飾り。喜久絵作『桜華雛』の木目込人形は親王はもちろん三人官女も可愛らしく、小さいサイズながら、特別な存在感のあるおひなさまです。
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- 優雅 親王飾り「夢刺繍」:黒を基調とした舞台に白衣裳が映える、エレガントなお雛さまです。
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- 木目込人形 喜久絵 収納飾り「桜華No.7刺繍」:ベージュとピンクの衣裳に満開の桜刺繍が豪華にあしらわれたおひなさま。ホワイトを基調につくられた収納箱と屏風はモダンな色合いでお殿様とお姫様をいっそう引き立てます。お道具や人形の随所に桜が散りばめられた可愛らしいお飾りです。
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- 木目込人形 ゆかり 収納飾り「遊燕 収納飾り」:育メンお殿さまの腕の中には、かわいらしい赤ちゃんとそれを見守りあやす優しいお姫さま。淡いピンクの屏風にはっきりした色合いの衣裳が良く合います。収納タイプなのですっきりとしまえます
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- 木目込人形 賢一 立雛飾り「寿々喜雛 祥 黄櫨染」:黄櫨染(こうろぜん)立雛。中点に輝く太陽を想わせる金色色(こんじきいろ)。天皇にだけ着用が許される衣裳です。地模様に「桐」・「竹」・「鳳凰」・「麒麟」が織り込まれた、ひな人形で最も格式を感じさせる衣裳です。
商品詳細